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「鍛えれば上がる」のは、どこまでなのか。研究のまとめと、規制当局が問題にした広告表現を並べると、線の引きどころが見えてきます。

測定とデータ

認知トレーニングとは、記憶や注意といった認知機能に関わる課題を繰り返し行う取り組みの総称です。画面上のゲーム形式のもの、紙の課題、運動と組み合わせるものなど形はさまざまですが、共通しているのは「課題を繰り返すことで、課題の外にも良い変化が及ぶ」という期待です。

この期待のどこまでが研究で裏づけられているのかは、分野の中でも議論が続いてきました。この記事では、効果を3つの段階に分けて整理し、研究のまとめが到達した結論と、規制当局が広告の何を問題にしたのかを一次資料から確認します。結論を先に言えば、訓練した課題が上達することと、日常生活が変わることのあいだには、まだ埋まっていない距離があります。

効果は3段階に分けて考える

認知トレーニングの効果を語るとき、何が「できるようになった」のかを区別しないと話が噛み合いません。研究では、訓練した内容からどれだけ離れたところまで変化が及ぶかという観点で、段階を分けて検討されます。

段階内容例
訓練した課題そのもの繰り返した課題の成績が上がること毎日やっている数字の記憶課題で、覚えられる桁数が増える
近い課題への広がり訓練していないが、よく似た課題の成績も上がること数字の記憶課題を訓練したら、文字の記憶課題の成績も上がる
遠い課題・日常生活への広がり性質の異なる課題や、実際の生活・仕事の場面にも変化が及ぶこと記憶課題の訓練によって、仕事の段取りや運転が良くなる

広告や紹介記事で「効果があった」と書かれているとき、この3段階のどこを指しているのかが示されていないことがあります。1段目だけであれば、それは「練習した課題が上手になった」という意味にすぎません。期待されているのはたいてい3段目ですが、距離が遠いほど検証は難しくなります。

研究のまとめが到達した結論

この分野では2014年に、研究者たちが対立する2つの公開書簡を出す事態が起きました。一方は、脳トレのゲームが認知機能を高める科学的根拠は確立していないとする立場、もう一方は、文献は広い効果を示しているとする立場です。この対立を受けて、サイモンズらの研究グループが文献を網羅的に検討し、2016年に学術誌「Psychological Science in the Public Interest」で報告しました。

報告の結論は、先ほどの3段階にきれいに対応しています。訓練した課題の成績が上がることについては広範な証拠があるとされました。よく似た課題への広がりについては、証拠はそれより少ないとされています。そして、性質の異なる課題への広がりや、日常的な認知的パフォーマンスの向上については、証拠はほとんどないとされました。

研究の質についても指摘があります。この報告は、検討した研究のうち、日常生活への効果について明確な結論を引き出すために必要と考えられる最良の実施基準をすべて満たしていたものはなかった、と述べています。つまり「効果がないことが証明された」のではなく、「日常生活まで効果が及ぶかを判断できる水準の研究が、まだそろっていない」という状態です。この2つは意味が違います。

国内でも、運動と認知課題を組み合わせた取り組みについて無作為化比較試験が行われています。認知運動の記事で詳しく扱っていますが、軽度認知障害の高齢者を対象としたその研究でも、参加者全体では差が認められず、記憶の低下が目立つサブグループの一部の指標にとどまっています。対象者を限った条件下での報告であり、働く世代にそのまま当てはめられるものではありません。

規制当局が問題にしたのは何か

研究の到達点と、売り文句のあいだに開きがあると、広告の問題になります。実際に規制当局が動いた例が、日米の双方にあります。

米国では2016年1月、連邦取引委員会(FTC)が脳トレプログラムの事業者との和解を公表しました。FTCによれば、同社は、ゲームの訓練によって仕事や学校での成績が上がり、加齢等に伴う認知機能の低下を遅らせたり軽減したりできるという、根拠のない主張で消費者を欺いたとされています。和解では200万ドルの支払いに加え、今後、実世界でのパフォーマンスや加齢に伴う低下、健康上の状態への効果を主張する場合には、確かで信頼できる科学的根拠を持つことが求められました。担当部局の責任者は、同社が加齢に伴う認知機能の低下への不安につけ込み、記憶の喪失や認知症を食い止められるかのように示唆したが、広告を裏づける科学を持っていなかった、と述べています。

日本では、対象は食品ですが、認知機能をうたう表示そのものが問題になりました。消費者庁は2022年3月31日、認知機能に係る機能性を標ぼうする機能性表示食品について、インターネット広告の一斉監視の結果を公表しています。令和4年2月末時点で販売されていた223件の商品を対象とし、物忘れや認知症の治療・予防効果などの医薬品的な効果効能が得られるかのような表示をしていた3事業者3商品、届出された機能性の範囲を逸脱した表示をしていた112事業者128商品に対して、改善指導が行われました。

注目したいのは、消費者庁が挙げた理由です。認知機能が改善できることを強調した誇大広告では、認知症や物忘れが予防・改善できるものと一般消費者に誤認されやすく、そのような誤認が生じた場合、適切な診療等の機会を逸してしまうおそれがある、としています。表現が大きすぎると、必要な受診が遅れるという具体的な害につながるという指摘です。

では、何を目指すのか

ここまでを踏まえると、認知トレーニングについて現時点で言えるのは、「訓練した課題が上達することは確かだが、それが日常生活にまで及ぶかはまだ判断できる段階にない」ということです。この前提に立つと、現場での目指しどころは2つに絞られます。

ひとつは、効果を主張しない形で取り入れることです。継続できる、楽しめる、職場のコミュニケーションが生まれるといった価値は、認知機能の改善を主張しなくても成立します。実際、研究の限界として「社会的交流による効果を排除できない」という指摘が挙がること自体が、集まって行うこと自体に別の意味があることを示しています。

もうひとつが、鍛えることと測ることを分けることです。当社が主題にしているのは後者です。測定は、状態を数値として把握し、作業内容や配置の検討材料にするためのもので、機能を高めることを目的にしていません。この区別を保っておくと、効果を断定せずに現場の判断材料を出せます。測定の方法の選び方については別の記事で扱っています。

取り組みを検討する立場であれば、提供する側に次のことを尋ねてみてください。どの段階の効果を主張しているのか、その根拠となる研究の対象者は誰か、比較した群はあるか。答えられない、あるいは「個人差があります」とだけ返ってくる場合は、1段目の話を3段目のように伝えている可能性があります。

  • ※ 本記事は2026年10月時点で公開されている資料にもとづいています。
  • ※ 2016年の研究レビューの記述は、学術誌の要旨および学会の紹介ページの記載によります。本文全体は購読が必要なため、個別の研究の数値には踏み込んでいません。
  • ※ 米国の事例は連邦取引委員会の報道発表によります。同委員会のサイトは自動取得に応答しない場合がありますが、ブラウザでの閲覧により2026年10月時点で公開されていることを確認しています。
  • ※ 消費者庁の事例は食品(機能性表示食品)に関するもので、トレーニングのサービスを直接の対象としたものではありません。ただし、認知機能に関する表示がどのように判断されるかを示す材料として参照しています。
  • ※ 本記事は特定の製品やサービスの効果を否定するものでも、推奨するものでもありません。測定は状態を数値として把握するためのものであり、疾病の予防や機能の改善を保証するものではありません。医学的な判断は医師が行います。

よくある質問

認知トレーニングに効果はあるのですか。
どの段階を指すかによります。2016年に学術誌で公表された網羅的なレビューは、訓練した課題の成績が上がることには広範な証拠があるとする一方、よく似た課題への広がりについては証拠がより少なく、性質の異なる課題や日常の認知的パフォーマンスへの広がりについては証拠がほとんどないとしています。また、日常生活への効果を判断するために必要な実施基準をすべて満たした研究はなかったとも述べています。効果がないと証明されたのではなく、判断できる水準の研究がそろっていない状態です。
「転移」とは何ですか。
訓練した内容が、訓練していない別の課題や場面にも及ぶことを指します。訓練した課題とよく似たものへの広がりと、性質の異なる課題や日常生活への広がりは分けて検討されます。前者より後者のほうが検証は難しく、証拠も少なくなります。広告で「効果があった」と書かれているときは、どちらを指しているのかを確認する必要があります。
規制当局が問題にした広告とは、どのようなものですか。
米国では2016年1月、連邦取引委員会が、ゲームの訓練で仕事や学校の成績が上がり、加齢等に伴う認知機能の低下を遅らせたり軽減したりできるという根拠のない主張をしたとして、脳トレ事業者と和解したことを公表しました。日本では2022年3月、消費者庁が認知機能をうたう機能性表示食品223件のインターネット広告を一斉監視し、医薬品的な効果効能が得られるかのような表示をしていた3事業者3商品と、届出された機能性の範囲を逸脱した表示をしていた112事業者128商品に改善指導を行っています。
なぜ効果の表現にそこまで慎重になる必要があるのですか。
消費者庁は改善指導の理由として、認知機能が改善できることを強調した誇大広告では、認知症や物忘れが予防・改善できるものと一般消費者に誤認されやすく、そのような誤認が生じた場合、適切な診療等の機会を逸してしまうおそれがあることを挙げています。表現が大きすぎると、受診の遅れという具体的な害につながるという指摘です。景品表示法や健康増進法の観点だけでなく、この点からも慎重さが求められます。
職場で取り入れる場合、どう考えればよいですか。
効果を主張しない形で位置づけることをおすすめします。継続できる、楽しめる、職場のコミュニケーションが生まれるといった価値は、認知機能の改善を主張しなくても成立します。そのうえで、鍛えることと測ることを分けて考えてください。測定は状態を数値として把握し、作業内容や配置の検討材料にするためのもので、機能を高めることを目的としていません。この区別を保つと、効果を断定せずに現場の判断材料を出せます。

出典

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